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ほかにもあった 『茶の木』

 7月23日に「やっと見つけることができた!!茶の木を投稿したが、他の場所でも「茶の木」を見つけることができた。

場所は明丸(動物園)前の土橋(道路)中央分離帯の植え込みの中。

中央分離帯はかなり長いのだが、1か所目は動物園便所真後ろ。桜の大木を挟んで2本の茶の木があった。

もう1か所は同じく動物園北出入口から出たらすぐ目の前。3本も1度に見つけることができたのは幸い。

  (チャ、チャ、チャで素晴らしい!!)

 

                                   動物園便所真後ろ 中央分離帯の中 桜の大木の左右の背の低い木

 

 

                                      茶の木は緑色の実をつけていた。

 

利長と茶室

 利長は高岡城内に茶室を設けた。京都の古田織部の茶室を模したものである。利長は、わざわざ京都に大工を遣わせ、織部の茶室と寸分違わず採寸させ、高岡城内に復元させている。

 茶室がほとんど完成したころ、茶室を確認した利長は見慣れぬ下地窓(したじまど)があることに気づき、

  「ここに開いているこの窓には、どうも承服できぬなぁ」

  「古田織部殿の茶室にもその場所にその大きさの窓がありました」

  「その窓からどのような景色が見えたのだ」

  「その窓からは、東寺の五重塔が見えました」

  「なるほど、そのような窓であったか。では東寺の見えぬ高岡城の茶室には同じ窓を作っても意味はないのう」

利長公はこの窓を塞いでしまった。  (この茶室、どこにあったかは不明) 参考文献 山本和代子『古城万華鏡』

 

                              本保澄雄

 

梧桐 (2)  他に先がけて落葉

 前回 「梧桐の花はどんな色」ということで書いた.

今回は文学青年になった気分で、「梧葉」について書いてみたい。

 

 ・偶成  朱熹     (偶成とは → 歌や詩などが、ふと出来上がること)

   少年易老学難成   一寸光陰不可軽   未覚池塘春草夢   階前梧葉已秋声

 (少年老いやすく学なりかたし 一寸の光陰かろんずべからず いまださめず、ちとうしゅんそうの夢  かいぜんのごようすでに しゅうせい)

 意味 少年が老いていくのはアッという間だが、学問がモノになるのは大変難しい。だからわずかの間でも惜しんで一生懸命に勉強すべきなのだ。春に池のほとりに草が揺らぐのを見ながらうつらうつら夢を見ていたと思うと、庭先のアオギリはもう秋の気配を帯びている。

 

・「桐一葉(きりひとは) 落ちて天下の秋を知る」

  桐はほかの木よりも早く秋の気配を感じて落葉する。落葉の早いアオギリの葉が一枚落ちるのを見て秋の訪れを察知するように、わずかな前兆を見て、形勢の悪化、衰亡の兆しが現れたことの暗示とする。その後に起こるであろう大事をいち早く察知する事を言う。 准南子・説山訓に「一葉落ちるを見て、歳の将に暮れんとすることを知る」に基づく。

 「一葉落ちて天下の秋を知る」 「一葉秋を知る」なども同じ意味

 

 この「桐一葉落ちて天下の秋を知る」は詩的な美しい表現だが、この言葉が知られるようになったのは明治時代坪内逍遥が『桐一葉』を著してからのこと。 大坂夏の陣で滅亡した豊臣家の没落をテーマにした名作で片桐且元(かたぎりかつもと)が豊臣家と自分の非運を嘆く場面では桐一葉が落ちて天下の秋を知る情景が描かれている。歌舞伎で初演されたのは1904年(明治37)のこと。                          三省堂 『故事ことわざ辞典』   インターネット など  参考

 

                  早くも黄色くなり始めた? 梧桐の葉 (7月30日撮影)

 

      すみません。 ごちゃごちゃと訳の分からないことを書いてしまいました。 本保澄雄

 

 

梧桐(ごとう)の花はどんな色?

 本丸広場南西側片隅、訪翠亭のすぐ近くに梧桐(ごとう)の木がある。

 

                                               訪翠亭(屋根に鳳凰の像) と 梧桐(手前左側の木)7月30日撮影

 

観光客に 高岡という地名は『詩経』の一説「鳳凰鳴けり彼の高き岡に」から命名された。その対句として「梧桐生ぜり彼の朝暘に」があり、この場所に鳳凰梧桐があると説明した。では「梧桐はどんな色の花が咲きますか」と質問されて返答に窮した。「桐は紫の花が咲きますが、梧桐は桐とは全く違いますからね。どんな色の花が咲くのでしょうね。調べておきます」と返答するしかなかった。 

後日調べた。

梧桐 アオギリのこと。アオギリ科の落葉高木。木の皮は緑色。6~7月にうす黄色5弁の小花を群生する。果実は10月ころ        熟す。庭木や街路樹にする。キリとは全く別物。

   中国では鳳凰が住む樹とされた。このため鳳凰の像の側に梧桐が植えてある。

                   梧桐の花 (インターネット)

 

                   梧桐の葉(7月30日撮影)

桐  ゴマノハグサ科の落葉高木。5月ころ薄紫の花が咲く。材は軽くやわらかで白っぽく、また吸湿性が少なく音をよく伝え るので琴・たんす・下駄などをつくる。

中国では古くから両方に「桐」の字を用いているために混乱が生じている。現在中国ではアオギリのことを「梧桐」、キリを「泡桐」と呼ぶ。  (詳しくはウイキペディアなど)

                    

  ・詩経 中国最古の詩集。前9世紀から7世紀にかけての詩305編を収める。孔子が門人の教育のため編纂したともいわ        れ ている。四書五経(ししょごきょう)のうちの一つ。

       四書とは 『大学』『中庸』『論語』『孟子』 の 四書

       五経とは 『詩経』『書経』『礼記』『易経』『春秋』 の 五書

  ・朝陽 山の東 (大辞林)

       《朝暘橋》《朝暘の滝》は、この「梧桐生ずかの朝陽に」から名づけられた。

   本保澄雄

 

 

 

 

 

やっと見つけることができた!! 茶の木

 かねてより公園内で茶の木を探していたのだがやっと見つけることができた。ボランティアガイドグループ内で草花に詳しい柴田さんがよく知っておられた。柴田さんに聞いてやっと見つけることができた。柴田さんに深謝。(これでガイド時のネタが一つ増えた)

    

 戦国武将はお茶を好んだ。戦国武将が惹かれたのは意外にも、心静かにたしなむ茶の湯であった。

 茶の湯に精通していなければ一流の武将とはみなされなかった。また天下人の催す茶会にも呼ばれず立身出世の道も閉ざされた。

 戦国時代には茶器などが褒美がとして与えられた。与えられた者にとってはそれは大変な名誉であり与えられた茶器は一家の家宝として守り継がれた。天下人から与えられた茶器は「その価値は一国相当なり」と言われた。

 

動物園前 中央分離帯搦め手口側端の茶の木

 

 高岡城築城の加賀藩2代藩主前田利長は父利家とともに千利休の直弟子として茶道を学んだ。『茶道四祖伝書』は、前田利長を利休七哲の筆頭に挙げている。その利長は高岡城築城の際、城内に茶の木を植えた。その子孫の木が公園内に残っているわけである。

 

  園内には約10本の茶の木があるとされている。(平成23年 高岡古城公園樹木調査 都市整備部花と緑の課)  

 今回見つけた場所は 体育館前、動物園前である。(黒丸の地点)

 このほかに 博物館周辺にもあると言われている。

400年前からの引き継がれてきた木。大切にしたい。

 

 

 

 

チョット一息  戦国時代、武将と茶道にまつわる話は山ほどあるが今回《平蜘蛛の釜》の話を書いてみる。

 

 《平蜘蛛の釜》 戦国時代の武将 松永久秀が所有していた茶釜

 

 松永久秀は幾度も信長から《平蜘蛛の釜》所望されていたが断っていた。後に久秀は信長に攻められるのだが、この時信長は「平蜘蛛を差し出せば許す」という条件を出した。久秀は断った。久秀は信長に攻められ自害(自爆死)する。《平蜘蛛の釜》が信長の手に渡るのを潔しとしない久秀は「《平蜘蛛》とおれの首は信長に渡さぬ」と言って平蜘蛛の釜に爆薬を仕込み爆破してしまった。自分の命と《平蜘蛛の釜》とを同時に無くしてしまったのである。(爆死前に打ち壊したという説もある)。真実は分からないが有名な話として今も伝えられている。

                           本保澄雄

 

 

梅雨を迎える

 北陸もそろそろ梅雨入り。 梅雨の語源は一説には「梅の実が熟す頃」の雨。古城公園梅園の梅の実はどうなっているか気になるところ.

 

                      まだ青いものがほとんど

中にはほんのりと赤みがかったものも。 毎年150㎏くらい穫れるとか。 数年前には希望者に分けてくれた。

                  

5月24日?に誕生 フンボルトペンギンの赤ちゃん(向かって右側) 名前は「強(きょう)」 強く育ってほしいからとか

   本保澄雄