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ウサギの歌・ことわざなど

今年は卯年 兎に関する歌やことわざなどを思い出してみました。

 

眞子様の短歌 2020年の歌会始で詠まれた歌

 「望月に 月の兎が 棲まふかと 思う心を 持ちつぎゆかな」

 解釈 月にウサギが棲んでいていて餅つきをしている  そんな昔話を信じる純真な心をいつまでも持ち続けたい

 

 童謡

・「兎のダンス 歌詞:ソソラソラソラ うさぎのダンス・・・・

・「うさぎとかめ」歌詞:もしもしかめよ かめさんよ せかいのうちで おまえほど あゆみののろいものはない・・・

  誰もが知っている「うさぎとかめ」 競争の途中兎が居眠りしたため競争に負けたというはなし

・「ふるさと」歌詞:ウサギ追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと・・・・

  懐かしいですね。特に故郷を離れていると強く感じます。私は北海道にいたころこの歌を聞くと胸が熱くなりました

・「うさぎうさぎ」歌詞:うさぎうさぎ なにみてはねる じゅうごやおつきさま みてはねる・・・・・

・「大黒様」歌詞:大きな袋を肩にかけ 大黒様が来かかると そこにいなばの白兎  皮をむかれてまるはだか・・・

  日本神話に基づくはなし

・「まちぼうけ」歌詞:待ちぼうけ待ちぼうけ ある日せっせと野良かせぎ そこへ兎がとんできて ころり転げた木の根っこ

 中国の古典『韓非子』 守株待兎(しゅしゅたいと)から

 中国春秋時代に、一人の農夫が、兎が切り株にぶつかって死んだのを見て、また同じことがが起こりかもしれないと思い仕事もせずに毎日切り株を見守ってばかりいた。このため畑はあれ国中の笑いものになった。という故事 

 

③言葉・ことわざ

・二兎を追う者は一兎も得ず

・ウサギの登り坂

・脱兎の如く

 

④鳥獣戯画 平安時代後期から鎌倉時代初期に書かれた作品と思われるが誰が何のために書いたのか謎の多い作品

          (一部分) 兎が描かれている。一体何を表しているのか?

 

思いつくまま書いてみました。ウサギに関するものまだまだあると思います。思い出してください。

 

2023.1.8

                      高岡観光ボランティアガイド やまたちばな

                         本保澄雄

 

 

高岡古城公園 動物園のウサギ

今年は卯年。

早速高岡古城公園動物園の兎を見に行った。

    キンツバ君 ♂              あごひげ君 ♂

 

解説板には

ウサギは声を出すことはできません。代わりに鼻をプウプウ プラプラ鳴らしたり後ろ足を地面に打ちつけてタンピングなどして気持ちを表します。 指の数 前5本ずつ 後ろ4本ずつ。

大きい耳はよく聞こえるだけでなく体温調整にも役立っています。ウサギの女の子は大人になると肉垂(にくすい)というモフモフのマフラーのようなものができます。このモフモフが立派なウサギほど美人とわれるらしい・・・。しっぽがあります。 足のうらには肉球がなくフサフサした毛でおおわれています。

 

ウサギはぴょんと飛び跳ねることから景気が良くなりに飛び跳ねる年だと言われている。

コロナ騒ぎが収まって景気がよくなってほしいですね。

 

  2023.1.6

                 高岡観光ボランティアガイド やまたちばな

                   本保澄雄

 

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

いつもブログを見ていただきありがとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

昨年はコロナ騒ぎでバタバタした1年間でした。

今年はコロナ騒ぎも収まり良い年になるように祈っています。

私の年賀状です。(毎年このような年賀状を彫っています)

感謝の気持ちを込めて皆さん全員に年賀状をお送りしたいのですがそうもいきません。

このブログを借りて新年のあいさつとさせていただきます。

 

2023.元旦

                高岡観光ボランティアガイド やまたちばな

                        本保澄雄

 

 

 

 

 

 

 

和田川から引き揚げられた高岡城石垣の石

高岡駅南口広場、緑地内に利長公の銅像がある。そばには大きな石もあり、解説の案内板も立っている。

 

解説案内板には

               前田利長(1562~1614)

  永禄 5年(1562) 前田利家の嫡男として尾張荒子に生まれる。

  慶長 3年(1598) 加賀藩2代藩主となり120万石余りの大藩に育てる。

  〃 14年(1609) 高岡城を築いて城下町を開く。

  〃 19年(1614) 高岡城において53年の生涯を閉じる。

                高岡城の石垣

 この石は、明治初期に和田川の河川改修工事の際に高岡城から運び出されたものとされている。石の表面に矢穴(石を割る際に楔を打ち込んだ跡)や刻印(記号を石に彫り込んだもの)がみられ、石垣に用いた石材だと考えられる。同様の石は、高岡市立博物館、高岡古城公園本丸広場に展示されているほか、高岡城の本丸と二の丸を結ぶ土橋の両面に石垣が現存している。また平成21年4月に高岡開町400年記念事業として開催した「高岡築城まつり大石曳き」で実際に使用された。

 

          利長公銅像 石垣の石(銅像と案内板の間の黒い塊) 解説案内板 

        

         高岡城石垣に使用されていた石。よく見ると矢穴が見える。刻印は見えない。

 

 

     2022.9.26

                     高岡観光ボランティアガイド やまたちばな

                      本保澄雄