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和田川から引き揚げられた高岡城石垣の石

高岡駅南口広場、緑地内に利長公の銅像がある。そばには大きな石もあり、解説の案内板も立っている。

 

解説案内板には

               前田利長(1562~1614)

  永禄 5年(1562) 前田利家の嫡男として尾張荒子に生まれる。

  慶長 3年(1598) 加賀藩2代藩主となり120万石余りの大藩に育てる。

  〃 14年(1609) 高岡城を築いて城下町を開く。

  〃 19年(1614) 高岡城において53年の生涯を閉じる。

                高岡城の石垣

 この石は、明治初期に和田川の河川改修工事の際に高岡城から運び出されたものとされている。石の表面に矢穴(石を割る際に楔を打ち込んだ跡)や刻印(記号を石に彫り込んだもの)がみられ、石垣に用いた石材だと考えられる。同様の石は、高岡市立博物館、高岡古城公園本丸広場に展示されているほか、高岡城の本丸と二の丸を結ぶ土橋の両面に石垣が現存している。また平成21年4月に高岡開町400年記念事業として開催した「高岡築城まつり大石曳き」で実際に使用された。

 

          利長公銅像 石垣の石(銅像と案内板の間の黒い塊) 解説案内板 

        

         高岡城石垣に使用されていた石。よく見ると矢穴が見える。刻印は見えない。

 

 

     2022.9.26

                     高岡観光ボランティアガイド やまたちばな

                      本保澄雄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         
       
       
       

 

 

 

 

 

与謝野寛・晶子と高岡古城公園

 北日本新聞によれば本日(5月29日)は与謝野晶子が没した日とか。与謝野夫婦は昭和8年に高岡を訪ねている。

10月31日に夜行で上野駅を発ち、宇奈月(2泊)、富山市(2泊)を経て11月5日高岡市へ到着。高岡で1泊。後金沢等を経て11月13日に東京へ帰着。

 

高岡での行動。

11月5日 延對寺旅館で小休息 →高岡古城公園(図書館で二人が講演)→金屋町(金森氏の工場見学)→太師殿で晩餐   → 延對寺旅館

11月6日 県立高岡高等女学校で講演 →金沢へ

 

高岡古城公園では寛1首、晶子5首残した。

  寛 「高岡の 城の公園 しづかなる 水と紅葉を 路めぐりゆく」

 晶子 「高岡の 古城にのぼり 連山の 秋の雪見る 友の法師と」

    「紅葉散る 朝暘橋を わが超えて 丘にいづれば 白し立山」

    「館など さもあらばあれ 海越えて 羅津にたいす 本丸の松」

    「越の城 大伴卿の 築かねど 奈良の御代のみ 語らるるかな」

    「越中の 高岡城の 園きよし 松とかへでと 立山の白」

 

 高岡滞在中に 寛は7首、晶子18首 残した。また後日高岡市立高岡高等女学校の校歌を作詞。

         高岡古城公園の寛・晶子の歌碑 (写真は『高岡古城公園ガイド』から)

 

2022.5.29

                         高岡観光ボランティアガイド やまたちばな

                              本保澄雄   

高岡城、三の丸の石垣石材

5月18日。晴れ、気温27度。夏日。

三の丸と小竹薮を結ぶ土橋上の石垣石材をを見に行く。ベンチに転用されている石垣石材である。

 

 

 高岡市教育委員会『富山県高岡市 高岡城跡詳細調査報告書』、古川知明『富山城の縄張りと城下町』 

両著ともこの石を取りあげている。それだけ注目に値する石材ということであろう。

 

『高岡城跡詳細調査報告書』では

 「非常に細かい加工がされており他の石垣材とは異なる。(中略)加工が精巧なことから、石垣の隅角の角石や御殿の踏み石として使用された可能性がある。

 

古川知明『富山城の縄張りと城下町』では約2ページにわたり説明

 「刻印の大きさは慶長14年以調達されたとされる本丸土橋の石垣と・・・同時期に調達されたことを示す。・・このような整った石材を使用して築造する石垣隅角部は、算木積みになるものと考えられる」

 

 私たちガイドするとき、まったく説明しない石垣石材。それがが歴史的に大きな意味を持っているかもしれない。

高岡城築城の築城の歴史が変わるかもしれない。夢が膨らむばかりである。

2022.5.18

                       高岡観光ボランティアガイド やまたちばな花

                          本保澄雄

 

 

 

 

 

 

三の丸西側、三の丸と小竹薮 を結ぶ土橋上に、ベンチに転用されえた石垣石材が存在する。

二の丸から本丸へつながる土橋には、築城当時の石垣が今も残っている。

そのほかに石垣がないのだろうか。

 

興味は尽きないところである。高岡城の石垣は明治8年に取り外され和田川の護岸工事に使用されたと言われている。

 

虎・寅 あれこれ

今年は寅年

 徒然(つれづれ)なるがままにトラにまつわる話・言葉など、あれこれ書いてみた。

 

加藤清正の虎退治 

 秀吉の朝鮮出兵。清正は朝鮮で戦っていた。夜になると清正の陣地にが出てきて兵士や馬を食い殺した。  

怒った清正は槍で虎を退治。虎と戦った時、穂先が十文字の槍を使っていたが戦いの最中十文字の片方が折れてしまった。

このためこの槍は「片鎌槍」と呼ばれるようになった。(本当は鉄砲で射殺したらしい)

虎の毛皮と肝は肥前・名護屋城に滞在中の秀吉に送られた。

 加藤清正(幼名虎之介)秀吉子飼いの家臣。槍の名人(賤ケ岳七本槍の一人) 築城の名手。熊本城を築城。

 

一休さんの屏風の虎  頓智で有名な一休さんの話

  ある日殿様が一休さんをお城に招いた。

   「早速だがそこにある屏風の。夜中に屏風から抜け出して悪さをして困る。何とか縛ってくれ」

   「わかりました。さっそく縛り上げて見せます」一休さんはすぐに準備をした。

   「それでは今からこの虎を縛りあげますから、殿様この虎を屏風から追い出してください」

   「何を言う。屏風の虎を追い出せるわけがない」

   「それでは屏風の虎は夜になっても出て来ないはずですね。悪さもしないですね」

  一休さん 室町時代の臨済宗の僧一休宗純。のちに浄土宗に改宗。後小松天皇の子ともいわれている。

 

  童謡「鬼のパンツ」 

   鬼のパンツは いいパンツ 強いぞ 強いぞ          

   トラの毛皮でできている 強いぞ 強いぞ

   5年はいてもやぶれない 強いぞ 強いぞ

   10年はいても破れない 強いぞ 強いぞ  (以下略)

 

さん 

   「生まれも育ちも東京柴又、姓は車、名は寅次郎。           人呼んでフーテンの寅・・・」

    この名セリフで有名な映画「男はつらいよ」(山田洋二監督、渥美清主演)の主人公。

         東京・葛飾区柴又帝釈天の門前のだんご屋の生まれ。

     寅さんの名セリフ「それを言っちゃおしめえよ」「労働者諸君」「結構毛だらけ猫灰だらけ」

 

トラトラトラ これは寅・虎にまったく関係のない話。

     1941年12月8日 日本帝国海軍はアメリカ真珠湾を奇襲攻撃した。

     この奇襲攻撃を知らせる日本軍の暗号電報。 艦上攻撃機から空母・赤城宛に発信された。

     1970年 日本軍の真珠湾攻撃を題材にしたアメリカの戦争映画「トラトラトラ」が公開された。

 

虎に関する言葉

 虎視眈々

 虎の子

 トラの威を借るキツネ 

 虎穴に入らずんば虎児を得ず

 虎は死して皮を留め人は死して名を残す

 虎は千里行って千里帰る

 虎の尾を踏む

 虎を野に放つ

 虎になる(酔っぱらう)

 虎刈り

 虎の巻

 まだまだあると思います。皆さんも思い出してください。

 

2022.1.6

                         高岡観光ボランティアガイド やまたちばな

                             本保澄雄

 

時は春

   時は春 

   日は朝(あした) 

   朝(あした)は七時 

   片岡(かたおか)に露満ちて 

   揚雲雀(あげひばり)なのりいで

   蝸牛(かたつむり)枝に這い

   神、そらにしろしめす       (しろしめす は お治めになる という意味)

   すべて世は事もなし

       ロバート・ブラウニング  上田敏 訳

 

有名なロバート・ブラウニング(1812~1889) 上田敏訳 の詩の一節である。

   (この詩は確か高校か中学の国語の教科書に出ていました。)

 

豊かな自然、そして神様が空におられて世界をお治めになっている。世の中すべて何事もなく平穏無事である。

この時代、なんと平和の時代だったのだろうか。

今は世界中どこも「コロナ、コロナ」で大騒ぎ。なんともうらやましい時代であった。

 

コロナの影響で《やまたちばな》へのガイドの依頼も今年になって僅か5件。このうち2件は既にキャンセルとなってしまった。実行したのはわずか2件。あと1件は5月27日の予定。これもどうなるかわからないわからない状況。

1日も早くコロナが収束してほしい。

 

私は6月2日に1回目のコロナ予防接種の予定だったがやむを得ぬ事情でキャンセル。

次回の予約に期待することになってしまった。

繰り返しになるが1日でも早くコロナが収束することを願うばかりである。

 

 

2021.5.17

                          高岡観光ボランティアガイド やまたちばな

                                 本保澄雄