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2022年5月
高岡観光ボランティアガイド やまたちばな

与謝野寛・晶子と高岡古城公園

 北日本新聞によれば本日(5月29日)は与謝野晶子が没した日とか。与謝野夫婦は昭和8年に高岡を訪ねている。

10月31日に夜行で上野駅を発ち、宇奈月(2泊)、富山市(2泊)を経て11月5日高岡市へ到着。高岡で1泊。後金沢等を経て11月13日に東京へ帰着。

 

高岡での行動。

11月5日 延對寺旅館で小休息 →高岡古城公園(図書館で二人が講演)→金屋町(金森氏の工場見学)→太師殿で晩餐   → 延對寺旅館

11月6日 県立高岡高等女学校で講演 →金沢へ

 

高岡古城公園では寛1首、晶子5首残した。

  寛 「高岡の 城の公園 しづかなる 水と紅葉を 路めぐりゆく」

 晶子 「高岡の 古城にのぼり 連山の 秋の雪見る 友の法師と」

    「紅葉散る 朝暘橋を わが超えて 丘にいづれば 白し立山」

    「館など さもあらばあれ 海越えて 羅津にたいす 本丸の松」

    「越の城 大伴卿の 築かねど 奈良の御代のみ 語らるるかな」

    「越中の 高岡城の 園きよし 松とかへでと 立山の白」

 

 高岡滞在中に 寛は7首、晶子18首 残した。また後日高岡市立高岡高等女学校の校歌を作詞。

         高岡古城公園の寛・晶子の歌碑 (写真は『高岡古城公園ガイド』から)

 

2022.5.29

                         高岡観光ボランティアガイド やまたちばな

                              本保澄雄   

出来田(できでん)老人会をガイド

5月26日(木)晴れ。気温21度

高岡古城公園を出来田(高岡市内)深沢老人会悠久会のメンバー26名をガイド。

一行は出来田公民館からマイカーに分乗。9時10頃早くも小竹薮駐車場へ到着。

ガイドは柴田、本保。他に本保のアシスタントガイドとして松下の計3名。

悠久会会員全員に『高岡古城公園ガイド』4訂版を無償で配布。

途中10分間の休憩を含め約2時間公園内をガイド。

参加者からは

 面白かった。

 高岡に住んでいながら公園について知らなかった事がたくさんあった。

 今度家族一緒に来て説明してやりたいなどの声があった。

 

            疲れました。ここらでちょっと一休み(市民会館横)

 

                    最後に全員で記念撮影(小竹薮広場)

 

      2022.5.27

                       高岡観光ボランティアガイド やまたちばな

                                    本保澄雄

 

 

高岡古城公園小竹薮広場で清掃活動に協力

 5月22日(日)高岡観光ボランティアガイド《やまたちばな》のメンバー3名が高岡古城公園の清掃活動に参加した。

清掃活動はとやまさくら守の会高岡地区が主催したもの。

 《やまたちばな》から3名、さくら守の会からは9名 計12名で高岡古城公園小竹薮広場を中心にペットボトルやたばこの吸い殻など拾い集めた。

 さくら守では定期的に清掃する予定とか。山崎地区会長は「高岡の桜を守っていくためにも活動を進めていきたいと」と話していた。

 高岡古城公園を活動の舞台とする《やまたばな》も協力し今後も古城公園の美化に努めたい。

 

                                                       中央 やまたちばなメンバー

 

                  左2人 やまたちばなメンバー

 

 

                  清掃活動中のやまたちばなメンバー

 

           2022.5.23

                      高岡観光ボランティアガイド やまたちばな

                                    本保澄雄

高岡城、三の丸の石垣石材

5月18日。晴れ、気温27度。夏日。

三の丸と小竹薮を結ぶ土橋上の石垣石材をを見に行く。ベンチに転用されている石垣石材である。

 

 

 高岡市教育委員会『富山県高岡市 高岡城跡詳細調査報告書』、古川知明『富山城の縄張りと城下町』 

両著ともこの石を取りあげている。それだけ注目に値する石材ということであろう。

 

『高岡城跡詳細調査報告書』では

 「非常に細かい加工がされており他の石垣材とは異なる。(中略)加工が精巧なことから、石垣の隅角の角石や御殿の踏み石として使用された可能性がある。

 

古川知明『富山城の縄張りと城下町』では約2ページにわたり説明

 「刻印の大きさは慶長14年以調達されたとされる本丸土橋の石垣と・・・同時期に調達されたことを示す。・・このような整った石材を使用して築造する石垣隅角部は、算木積みになるものと考えられる」

 

 私たちガイドするとき、まったく説明しない石垣石材。それがが歴史的に大きな意味を持っているかもしれない。

高岡城築城の築城の歴史が変わるかもしれない。夢が膨らむばかりである。

2022.5.18

                       高岡観光ボランティアガイド やまたちばな花

                          本保澄雄

 

 

 

 

 

 

三の丸西側、三の丸と小竹薮 を結ぶ土橋上に、ベンチに転用されえた石垣石材が存在する。

二の丸から本丸へつながる土橋には、築城当時の石垣が今も残っている。

そのほかに石垣がないのだろうか。

 

興味は尽きないところである。高岡城の石垣は明治8年に取り外され和田川の護岸工事に使用されたと言われている。