病院の窓から 守山城跡(城山)&雲
5月26日から6月3日までの9日間、厚生連高岡病院に入院していた。
毎日守山城跡(城山)と二上山と、時には流れゆく雲を眺めていた。
守山城跡(城山)二上山・雲
守山城は高岡開町の祖・前田利長が13年間在城した城。そして加賀前田家3代・利常が養育された城である。
生母と引き離され、長種夫婦によって養育された利常は、この雲を一体どういう気持ちでを眺めていたのだろうか?
幼い目に涙をいっぱいためて母親を思い出していたのだろうか?
また前田と戦った神保氏張(守山城城主)はどのような気持ちで雲を眺めていたのだろうか?
立身出世(青雲の志)を夢見てこの雲を眺めていたのだろか?
前田氏との戦いに敗れた神保一族は佐々成政に従い九州へ、その後徳川家康の家臣となり出世し江戸で土地を与えられた。
(これが現・神田神保町)
おうい 雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平の方までゆくんか 山村暮鳥
磐城平を私は小丸山城に置き置き換えてみた。
小丸山城は前田利家が能登で建てた唯一のお寺長齢寺がある。そこには父利家と母まつの銅像が建っている。
また利家、利長の石廟もある。
雲は高い所から守山城跡眺め、次に右手に高岡城・富山城を眺め、そして次に左手に金沢城を眺めゆっくりと長齢寺にまで行ったのであろうか?
もし雲が利長だったとしたら高い空から利家・まつの銅像になんと話しかけただろうか?
「お母さーん」と叫んだのではないだろうか?
2021.6.7
高岡観光ボランティアガイ やまたちばな
本保澄雄