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やっと見つけることができた!! 茶の木

 かねてより公園内で茶の木を探していたのだがやっと見つけることができた。ボランティアガイドグループ内で草花に詳しい柴田さんがよく知っておられた。柴田さんに聞いてやっと見つけることができた。柴田さんに深謝。(これでガイド時のネタが一つ増えた)

    

 戦国武将はお茶を好んだ。戦国武将が惹かれたのは意外にも、心静かにたしなむ茶の湯であった。

 茶の湯に精通していなければ一流の武将とはみなされなかった。また天下人の催す茶会にも呼ばれず立身出世の道も閉ざされた。

 戦国時代には茶器などが褒美がとして与えられた。与えられた者にとってはそれは大変な名誉であり与えられた茶器は一家の家宝として守り継がれた。天下人から与えられた茶器は「その価値は一国相当なり」と言われた。

 

動物園前 中央分離帯搦め手口側端の茶の木

 

 高岡城築城の加賀藩2代藩主前田利長は父利家とともに千利休の直弟子として茶道を学んだ。『茶道四祖伝書』は、前田利長を利休七哲の筆頭に挙げている。その利長は高岡城築城の際、城内に茶の木を植えた。その子孫の木が公園内に残っているわけである。

 

  園内には約10本の茶の木があるとされている。(平成23年 高岡古城公園樹木調査 都市整備部花と緑の課)  

 今回見つけた場所は 体育館前、動物園前である。(黒丸の地点)

 このほかに 博物館周辺にもあると言われている。

400年前からの引き継がれてきた木。大切にしたい。

 

 

 

 

チョット一息  戦国時代、武将と茶道にまつわる話は山ほどあるが今回《平蜘蛛の釜》の話を書いてみる。

 

 《平蜘蛛の釜》 戦国時代の武将 松永久秀が所有していた茶釜

 

 松永久秀は幾度も信長から《平蜘蛛の釜》所望されていたが断っていた。後に久秀は信長に攻められるのだが、この時信長は「平蜘蛛を差し出せば許す」という条件を出した。久秀は断った。久秀は信長に攻められ自害(自爆死)する。《平蜘蛛の釜》が信長の手に渡るのを潔しとしない久秀は「《平蜘蛛》とおれの首は信長に渡さぬ」と言って平蜘蛛の釜に爆薬を仕込み爆破してしまった。自分の命と《平蜘蛛の釜》とを同時に無くしてしまったのである。(爆死前に打ち壊したという説もある)。真実は分からないが有名な話として今も伝えられている。

                           本保澄雄